湊川神社
minatogawa jinja

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湊川神社 前編 
~男がとことん惚れた武将、楠木正成公とは~

創建 明治5年(1872年)
御祭神 楠木正成くすのきまさしげ
御盛徳 智・仁・勇
忠誠と正義

神戸の中心地には楠木正成(くすのきまさしげ)公を祀る立派な神社がある。かつて乱世の中で天皇に忠誠を尽くし、正義と公の精神で生き抜いたその姿は、多くの日本人に慕われ、死後も歴史の偉人たちに大きな影響を与えた。忘れてはならない日本人としての心を伝える湊川神社の魅力を紐解く。

大きな影響を後世に与えた楠木正成公とは

文武にすぐれた奇才、楠木正成公

大楠公(だいなんこう)の愛称で知られる楠木正成(くすのきまさしげ)公は、南北朝時代に活躍した武将。河内地域を治めていた正成公は文武に長けており、後醍醐天皇に召し出され鎌倉幕府の倒幕計画に協力した。数万の兵を有する幕府軍に比べ少ない兵力しかなかった正成公の軍勢は、知恵と奇抜な戦略で、それまでにない意外な戦法を次々とくりだし、結果、後醍醐天皇方を勝利へと導いたのだ。

男が惚れた男、文武にすぐれた奇才の楠木正成をまつる湊川神社

前田青邨画「大楠公」

倒幕後も天皇に忠誠を尽くした

倒幕後、政治の立て直しのために後醍醐天皇が進めた政策に不満を抱えていた足利尊氏は反旗を翻し、ついに戦いが始まってしまう。このとき楠木正成公は、いち早く天皇側の劣勢に気付きながらも、最後まで忠誠を尽くし戦った武将なのだ。
そんな正成公の「私利私欲のない、正義と忠誠の心」は死後も、戦国武将、江戸期の学者、維新の志士達、そして庶民まで広く支持された。こうして明治5年、正成公最後の地となった神戸の湊川に「湊川神社」が創建されたのである。
皇居外苑には、楠木正成公の銅像が立っており、日本の国に与えてきた影響の大きさと深さが伺える。

男が惚れた男、文武にすぐれた奇才の楠木正成をまつる湊川神社

皇居外苑に建立された楠木正成公の銅像

奥ポイント誰も入れない!歴史の舞台が残る境内

湊川神社の境内西北隅には、楠木正成公が弟の正季卿、以下御一族とともに殉節(じゅんせつ)した場所がある。普段は入れない門の奥に特別に入らせていただいた。

男が惚れた男、楠木正成をまつる湊川神社「殉節地(じゅんせつち」の入り口

「殉節地(じゅんせつち」の入り口

男が惚れた男、楠木正成をまつる湊川神社「殉節地(じゅんせつち」の入り口

この奥で正成兄弟、一族郎等、差し違え殉節されたという

階段の向こうの鬱蒼とした森が、正成公の殉節地である。激戦の後、この地で足利尊氏の軍に包囲された正成公は「七生滅賊(しちしょうめつぞく)」を誓い、兄弟で差し違え最後を遂げたという。
「七生滅賊」とは「七回生まれ変わっても、国賊を倒したい」という意味だ。呪いのように聞こえるかもしれないが、これは「何度生まれ変わっても天皇が治める日本のあるべき姿を取り戻したい」という、揺るぎない忠誠心に満ちた言葉。このように自我のためではなく、公の精神で日本の未来を思い自刃した姿が、後世に語り継がれているのである。

奥ポイント×2明治維新の立役者たちが皆訪れた○○

徳川光圀公が建てた墓所を訪ねて

境内の東南隅、表門のすぐ右側には楠木正成公の「御墓所」がある。この墓所を整備したのは水戸黄門こと「徳川光圀(とくがわみつくに)公」!大日本史を編纂するにあたり、楠公の精神を最も重視し、また自らも深く楠公を尊崇していた光圀公は、助さんを現場監督としてここに派遣し、元禄五年に墓碑を建立させた。

楠木正成公の御墓所
楠木正成公の御墓所

建立した徳川光圀公の銅像
建立した徳川光圀公の銅像

墓碑の表に刻まれた「嗚呼忠臣楠子之墓」の文字は、徳川光圀公が書いたもの。裏には、明(みん)の遺臣朱舜水(いしんしゅしゅんすい)が作った讃文を、書家・岡村元春(おかむらもとはる)に書かせた。光圀公の建碑後には、多くの人が楠公墓所を知るようになり沢山の参詣者が訪れるように。その数、1日で1000人を超えたそう。
碑文の拓本も非常に人気があり、吉田松陰もこの拓本を表装して松下村塾に掲げ、塾生に楠公精神を熱く語ったと言われている。また、同志社の創立者である新島襄が大切にした拓本は、現在も同志社大学で見ることができる。

男が惚れた男、楠木正成をまつる湊川神社、楠木正成のお墓

墓碑は、正成公にゆかりのある地(河内・京都・神戸)の石を用いて作られた

男が惚れた男、楠木正成をまつる湊川神社、楠木正成のお墓

墓碑の表(左)は光圀公の字、裏(右)には讃文が書かれている

幕末の志士たちが訪れた地

西国街道に面したこの墓所には、京や江戸に向かう志士、故郷へ帰る志士たちがこぞって訪れた。吉田松陰・高杉晋作・伊藤博文・坂本龍馬・西郷隆盛といった幕末の志士たちの多くがここを訪れ、正成公の精神を学び、自己を投げ打って国事に奔走する誓いを立てた記録が残っている。
そんな、男たちが惚れこんだ英雄が楠木正成公なのだ。

吉田松陰が惚れた男、楠木正成をまつる湊川神社

吉田松陰は、4度この墓所を参詣していた

正成公の人気は全国に広まり、幕末から明治維新にかけて「正成公の御神霊をお祀りしたい」という声が相次ぎ、さらに諸藩からも意見があがった。そして維新後、当時の兵庫裁判所の官史であった伊藤博文らの請願が受理されて、明治元年、明治天皇が神社創建の御沙汰を下された。こうして明治5年、初の別格官幣社として創建されたのが「湊川神社」なのである。

男が惚れた男、文武にすぐれた奇才の楠木正成をまつる湊川神社

御社殿は神戸空襲によって焼失したが現在の御社殿は戦後いち早く昭和27年に再建されたもので、珍しい鉄筋コンクリート造りである

基本情報

神社名

湊川神社 ~Minatogawa Jinja~

住所

〒650-0015 兵庫県神戸市中央区多聞通3-1-1
3-1-1, Tamondori, Chuo-ku Kobe-shi, Hyogo, 650-0015, Japan

アクセス

JR神戸線「神戸駅」から北へ徒歩約3分
阪急・阪神・山陽各電車「高速神戸駅」下車すぐ
(東改札を出て、右手の階段を上がると正門前です)
市営地下鉄山手線「大倉山駅」から南へ徒歩約5分
市営地下鉄海岸線「ハーバーランド駅」より北へ徒歩約5分

HP

http://www.minatogawajinja.or.jp/

こんな方におすすめ

歴史好き、武士、学問

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