大鳥大社
ootoritaisha

大鳥大社 前編
~日本武尊が白鳥となってたどり着いた地~

創建 延長5年(西暦927年)
御祭神 日本武尊たまとたけるのみこと
大鳥連祖神おおとりむらじのみおやのかみ
御神徳 勝運、気運向上、防災安全 など

大阪府堺市に鎮座する和泉国一之宮、大鳥大社。御祭神の日本武尊は白鳥の姿となってこの地に現れたという。日本神話の中で格別な存在感を放つヒーロー、日本武尊はなぜこの地に舞い降りたのか。格式高い大鳥大社の長い歴史を紐解く。

大鳥大社の御祭神、日本武尊とは

武勇に優れた日本武尊

大鳥大社の神様は、古事記や日本書紀に登場する日本武尊(ヤマトタケルノミコト)。日本神話の中でも特に勇敢なヒーローとして有名だ。
ヤマトタケルノミコトは第12代景行(けいこう)天皇の子供にあたる。しかしその勇敢さを恐れた景行天皇は、ヤマトタケルノミコトを豪族征伐のために送り出し、手柄を立てても褒めることなく各地の平定に向かわせ続けたという。

日本武尊の像

大鳥大社の御祭神、日本武尊の像

あの三種の神器も日本武尊と関係があった

東征に向かったヤマトタケルノミコトは、伊勢で叔母の倭姫命(ヤマトヒメノミコト)に会い、父との距離について相談。ヤマトヒメはヤマトタケルノミコトに“神剣”を授け送り出す。
後に豪族にだまし討ちにあい周りの草むらを火で囲まれたヤマトタケルノミコトは、燃える草をなぎ倒すためにその神剣を使った。このことから、神剣は「草薙の剣(くさなぎのつるぎ)」と言う名になったという。そう!三種の神器のひとつ、「草薙の剣」の名前の由来はここから来ているのだ。

日本武尊の最期

その後も平定の旅を続け、大和朝廷の権威を守るため力を尽くしたヤマトタケルノミコト。ところが息吹山(いぶきやま)へ行った際、白いイノシシに姿を変えた"山の神"に気付かず、神の怒りを買ってしまう。山の神が降らせたヒョウによってヤマトタケルノミコトは傷を負い、国へ戻ることを決めた。
そしてその道中で力尽き、身体を三重に折り重ねるようにして倒れ最期を迎えた。(その場所が現在の三重県と言われている)

大鳥大社の鳥居

ではなぜ、大阪のこの地にヤマトタケルノミコトをまつる神社が創建されたのだろうか。

奥ポイント

白鳥を覆った深い森

一夜で生い茂った千草の森とは

お亡くなりになったヤマトタケルノミコトの墓をつくろうとした時、ヤマトタケルノミコトの魂は身体から抜け出て大きな白鳥になり飛び立っていったという。その白鳥が最終的にたどり着いた地がこのあたりなのだ。
そして白鳥が再び飛び立つことのないよう、一夜にして森が生い茂ったと伝えられている。これが「大鳥大社」の始まりだ。

境内の森は「千種の森(ちぐさのもり)」と呼ばれている。深い緑に覆われた大鳥大社の広さは約1.5万坪。東京ドーム1個分程にもなるそう。

そんな広い境内には神池や庭園などがあり、特に菖蒲(ショウブ)園が昔は有名だったそう。しかし現在は手入れ中で鑑賞することができなくなっている。
"森"と言われるほど広大な境内を管理するのは簡単なことではないのだ。そこで近年では「大鳥大社の菖蒲園復活を願う会」が発足され、地域の人々や神主さんたちを中心に菖蒲園の美化活動を行っているそう。掃除の後には清々しい空気の中で、ヨガ体験などができるという。地域一丸となって菖蒲園の復活と大鳥大社の賑わいを取り戻す活動が盛んに行われているのだ。

大鳥大社の拝殿

奥ポイント×2

あの武将たちも大鳥大社を訪れていた

平清盛の歌碑

文武の神であるヤマトタケルノミコトをまつる神社だけあって、歴史上の武将からも篤く信仰されていた大鳥大社。
源平の時代には平清盛、平重盛父子がここで戦勝祈願をしている。清盛・重盛が京を留守中に起きた反乱(平治の乱)の際、父子は大鳥大社に和歌と、「飛鹿毛(とびかけ)」という神馬を奉納し、戦勝祈願をして京へ戻っていった。その後見事、平治の乱を治めることができたのだ。境内には清盛が詠んだ歌碑が立つ。

"かひこぞよ かへりはてなば 飛びかけり はぐくみたてよ大鳥の神"

現代語訳:
蚕がかえって蛾になって飛びたつように、我々も京に戻り武功を立てるのでどうか平氏一族を見守り育ててください大鳥の神よ

この話は、「平治物語」にも記されている。
ちなみに石碑の字は日本画家として有名な富岡鉄斎の書。明治時代の約5年間、富岡鉄斎は大鳥大社の宮司を務めていたようだ。

平清盛、重盛が奉納した「飛鹿毛」を模った神馬像

戦国時代と大鳥大社

織田信長の時代には度重なる兵乱により、すっかり荒廃してしまったという大鳥大社。
豊臣秀頼によって再建されたが、大坂の役により再び焼失してしまった。
その後、徳川家綱の命令により元禄14年(1701年)修繕が完成している。
文武の神をおまつりする大鳥大社は、戦いの歴史を今に伝える神社でもあるのだ。

大鳥大社の祭り

大鳥大社の夏神幸祭

毎年7月31日に大鳥大社から堺区にある宿院頓宮へお神輿がお渡りする祭りを「夏神幸祭(なつしんこうさい)」と言う。以前は、祭典のみを中心に行われていたが、今年から「宵宮祭(よいみやまつり)」という前夜祭を企画し、子供神輿の巡行や、森の中のカフェ、工作イベントなど、地元の人々に楽しんでいただけるような夏祭りが始まったそう。今まで地元の人でもあまり知らなかったという立派なお神輿も展示され、広く担ぎ手を募集するなど活気が出ている。
また10月に斎行された「鳳だんじり祭り」も毎年大きな盛り上がりを見せる大鳥大社。今後さらに、お祭りの面でも注目を集めそうだ。

大鳥大社のお神輿

延喜式(平安時代の法令)によって、官幣大社・明神大社という特に霊験あらたかで皇室にゆかりのある神社に指定された大鳥大社。千種の森にすっぽりと包まれれば安心感と同時に、力強く立ち上がる勇気をいただけそうな気がする。
後編では、歴史のある社殿建築や必ず見ておきたい御神木をご紹介する。

大鳥大社 台風21号の被害について
大鳥大社は、台風21号によって甚大な被害を受けました。神域を取り戻す為には多くの資金を必要とします。災害復旧奉賛金のお願いについては上記をご参照ください。

基本情報

神社名

大鳥大社 ~Ootori Taisha~

住所

〒593-8328 大阪府堺市西区鳳北町1-1-2
1-1-2, Kitamachi, Otorikitamachi, Nishi-ku Sakai-shi, Osaka, 593-8328, Japan

アクセス

JR阪和線「鳳駅」西出口階段を下りてそのまま直進 突き当りを左折して徒歩3分

HP

http://www.ootoritaisha.jp/

こんな方におすすめ

神話好き、静かな場所、知る人ぞ知る、御神木好き

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