伊弉諾神宮
izanagijingu

伊弉諾神宮 前編
~日本はここから始まった、もっとも古い伝承をもつ神社~

創建 神代の時代
御祭神 伊弉いざなぎ大神のおおかみ
伊弉いざなみ大神のおおかみ
御神徳 国家鎮守 及び 延命長寿、夫婦円満・縁結び など

淡路国一宮「伊弉諾神宮」は、神代の時代に創祀されたと伝わる神社だ。日本でもっとも古い神社とも言われ、古事記・日本書紀にも登場している。御祭神は日本国を生み出した夫婦の神様。つまり伊弉諾神宮を知ることは日本のはじまりに思いを巡らせることにもなる。日本のルーツを感じる参拝へ出かけてみよう。

日本の国土と神々と、祖先を生んだ神様

伊弉諾大神と伊弉冉大神

伊弉諾(いざなぎ)神宮の御祭神は
 ・伊弉諾大神(イザナギノオオカミ)
 ・伊弉冉大神(イザナミノオオカミ)
(以下、イザナギ大神とイザナミ大神)

二柱は日本神話の創始期に登場する夫婦の神様で、天上界(高天原:たかまがはら)から天降り、日本の国土や神様をお生みになったと伝わっている。

伊弉諾神宮にある国生み伝承の看板

この話を「国生み伝承」という。
 

国生みの地、淡路島

地上に降り立ったイザナギ大神とイザナミ大神はまず「おのごろ島」をつくり出して降臨し、その島に「八尋殿(やひろどの)」を建てて拠点をつくられた。そして「天之御柱(あめのみはしら)」を回って正式な夫婦の契りを交わした二柱は、ここから精力的に国土となる神々を生み出していった。

まず生まれたのが、伊弉諾神宮が鎮座する“淡路島”。つづいて四国・隠岐・九州・壱岐・対馬・佐渡、そして本州を生み、海・山・土・水といった自然界を司る三十五柱の神々をお生みになっていく。
そして最後に“火の神”を出産した時、イザナミ大神は火傷を負い命を落としたと伝わっている。

伊弉諾神宮の鳥居

花崗岩製の神明鳥居としては国内最大級の大鳥居

そんな壮大な国生み伝承のはじまりの地である淡路島は、平成28年に島全域の31物件が「日本遺産」に指定された。

古事記・日本書紀に記された起源

イザナギ大神が余生を過ごした

死の世界へ行ってしまったイザナミ大神を連れ戻すため、イザナギ大神は黄泉の国へ向かったが、そこで穢れ(けがれ)を受けてしまう。イザナギ大神はその穢れを祓(はら)うために海水で禊(みそぎ)をする。

そのとき
 ・左目から、天照大御神(アマテラスオオミカミ)
 ・右目から、月読尊(ツクヨミノミコト)
 ・鼻から、素盞嗚尊(スサノオノミコト)
の三貴神をお生みになった。この三柱はとくに優れた神様で、『自身の使命をまっとうした』と感じられたイザナギ大神は、アマテラスオオミカミに国家統治の大権をおゆずりになる。
その後、イザナギ大神は最初に生まれた淡路島の多賀(たが)という地に戻られて「幽宮(かくりのみや)」を構え、そこで余生を過ごされたと伝わっている。

伊弉諾神宮の御拝殿は舞殿を兼ねた入母屋造り

伊弉諾神宮の御拝殿は舞殿を兼ねた入母屋造り

その「幽宮」にあたるのが、現在の「伊弉諾神宮」なのだ。
 

幽宮(かくりのみや)とは

イザナギ大神が余生をお過ごしになるため構えた「幽宮(かくりのみや)」とは一体何だろう。日本書記には以下のように記されている。

「伊奘諾尊、神功既に畢へたまひて、霊運当遷れたまふ。是を以て、幽宮を淡路の洲に構りて、寂然に長く隠れましき。」

「イザナギ大神は、神としての務めを果たされたので、淡路島に幽宮をお造りになって、そこに永久にお鎮まりになった。」という意味だ。

明治初期に改修された伊弉諾神宮の本殿

明治初期の改修でイザナギ大神の神陵の墳丘を覆うように整地し、その墳丘上に本殿を移築した

つまり幽宮とは、"神様が人前に現れることなくお住まいになられる場所"という意味で、伊弉諾神宮の起源はその「幽宮」となる。

奥ポイント

なぜ伊弉諾神宮は特別なのか

伊弉諾神宮は○○の跡に建っている

イザナギ大神は淡路の多賀にお造りになった「幽宮(かくりのみや)」で、終焉をお迎えになられた。その神宅の跡に建つのが伊弉諾神宮である。日本最古の起源をもつ神社と言われているのは、このためだ。

通常の神社は神様の御神霊をおまつりしているのに対し、伊弉諾神宮はイザナギ大神の神宅跡に構築された神陵を中心とする祭祀の聖地に建ち、神様そのものをおまつりしているという大きな違いがある。
日本を生み出した父神イザナギ大神が眠る神社、それが伊弉諾神宮なのだ!

明治時代に再建された伊弉諾神宮の正門

明治時代に再建された正門
 

貴重な御陵の痕跡を見てみよう

現在の御本殿は、イザナギ大神の神陵の真上に建っているそう。
明治初期まではこのあたりは禁足地で足を踏み入れることができず、御本殿は御陵の前方に建っていたそうだが、明治維新後に墳丘を整地してその真上に本殿を移築したという。

今でも透き塀から覗くと、本殿床下に格納されている墳丘に使われた石を垣間見ることができる。

伊弉諾大神の御陵の墳丘が見える

お濠(ほり)の跡を追ってみよう

もともと禁足地だった御陵のまわりには、かつてお濠が巡っていたそう。その面影を伝えているのが境内にある「放生の神池(ほうじょうのみいけ)」だ。

伊弉諾神宮の放生の神池

昔からこの放生の神池には「病気平癒を願って鯉」を、「不老長寿を願って亀」を放つと願いが叶うという信仰が伝わっている。
この神池と、御本殿裏の杜のさらに奥にある御社池(ごしゃのいけ)が、神陵地を囲んでいたお濠の名残だと伝えられている。

奥ポイント×2

淡路島が国生みの地に選ばれた理由

淡路島の形に注目

ところでなぜ、国生みの最初の島が淡路島だったのだろうか。
日本書記には
「大八州國(日本のこと)の島々は、淡路を『胞(えな)』として生まれた」
というような記述がある。“胞”とは何のことだろうか。
淡路島を空から見てみよう。

国生みの最初の島が淡路島だったのだろうか

昔の人はこの細長い地形を「胞」に見立て、ここから日本が生まれていった、もしくはこの島を通して母体となる神様とつながることができると感じていたのではないか、という考え方もあるそう。
また、古代ヤマトの人々が国内外へ航海していくときの最初の拠点が淡路島だ。海の支配・安全と、淡路島は結びつきがつよく神格化されていったとの見方もある。
 

夫婦が天降った「おのごろ島」はどこか

天上界から降りてこられたイザナギ大神とイザナミ大神はまず「おのごろ島」という地に降り立ち、そこを拠点に淡路島などの島々を生み出していったと伝わる。ではそのおのごろ島とはどこか。
 
現在「おのごろ」という名前が残る島はなく、候補地として考えられる島や土地は数か所ある。しかし様々な歴史書や、住環境に恵まれた土地であることなどから絞っていくと、淡路島の南にある「沼島(ぬしま)」のことではないかとの見方が有力となっている。二柱がおのごろ島を造り出したときに使用した「天沼矛(あめのぬぼこ)」と、「沼島」の“沼”に共通点が見られる。

「おのごろ島」はどこか

また沼島の「沼(ぬ)」という音は「瓊」「玉」「霊」を表しているのだそう。上空から見ると沼島は「勾玉」に似ているのだ。

国生みの言い伝えが残る淡路島は、ただの伝承ではなく地理的に見ても「神の島」と言える理由がたくさんあることが分かる。

伊弉諾神宮の正門と国旗

前編では、神話の冒頭を飾った淡路島の存在や、伊弉諾神宮の歴史について紹介した。後編では境内の見所や、宮司さんに教えていただいた参拝の極意について紹介しよう。

基本情報

神社名

伊弉諾神宮 ~Izanagi Jingu~

住所

〒656-1521 兵庫県淡路市多賀740
740, Taga, Awaji-shi, Hyogo, 656-1521, Japan

アクセス

津名一宮インターより5分
淡路交通「神姫バス」神戸三宮→ 64〜69分 → 郡家 下車 徒歩20分 他

HP

https://izanagi-jingu.jp/

こんな方におすすめ

神話好き、御神木好き、夫婦円満、デート

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